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《更新情報》~プロレスあの日あの時~ 2月21日

2021.02.21 NEW

日本プロレス殿堂会、皆様いつもありがとうございます!
 
鈴木健.txt氏によるプロレスあの日あの時
殿堂記念館|プロレスあの日あの時が更新されました。

~プロレスあの日あの時~2月21日
1999年=リングス
前田日明が引退試合で実現させた霊長類最強の男との夢対決


****一部記事抜粋
以前取材した時、前田日明に「新日本からリングスまでのキャリアの中で、自身がやったことが報われたと思えたのは?」と聞いたことがあった。てっきりプレイヤーとしてなんらかの試合や実績があげられると思っていたら、リングを離れたところでのエピソードが聞かれた。
 
「ロシアで初めて興行をやった時、打ち上げパーティーの最中に別室へ呼び出されて。なんやろう?って思っていったら、リングス・ロシアの主要メンバーがみんないて『ありがとう!』って言うんだよ。『どうしたの? それはこっちが言いたいぐらいだよ』って言ったら『マエダは全部我々のためにやってくれた。興行というもののノウハウも教えてくれただけでなく、その収益もすべてこちらにまわしてくれた。そういう人間はロシアにはいない。みんな、あなたのおかげだよ!』って」
 
リングスが初めてロシア国内で大会を開催したのは1994年8月27日。先に旧ソ連との交流を果たし、ロシアのアスリートたちをプロのリングへ上げたのは新日本プロレスだったが、1年ほどで尻すぼみに。リングスは旗揚げした1991年の12月にヴォルク・ハンやアンドレィ・コピィロフを発掘し、リングス・ロシアを設立してファイティングネットワークを世界へと広げた。
 
新日本があくまでもプロレスのリングにロシア人選手を上げたのに対し、リングスはUWFスタイルを下地とし格闘技(当時はフリーファイトの名称を使用)の土壌を耕していった。その中でリングス・ロシア勢は持ち味を発揮し、ハンやコピィロフ、ニコライ・ズーエフ、イリューヒン・ミーシャらがスタープレイヤーとして日本のファンに支持される。エメリヤーエンコ・ヒョードルもPRIDEに参戦するまではリングス・ロシアとして猛威を振るっていた。
 
ロシア側の窓口となったウラジミール・パコージン代表は、国家スポーツ省の事務次官を務めていた。日本での大会開催ごとに選手たちとともに来日し、リングサイドで赤いジャケットを着て審議員を務めた。現地ではロシアの官僚や実力者に前田を紹介し、それによって信用を勝ち取れた。ロシア大会の実現まで、そうした形で関係を築いていったのだ。
 
第2次UWFが解散し、たった1人で旗揚げしたリングスだったが、気がつけば前田は1人ではなくなっていた。それどころか、ロシアに限らずオランダ、グルジアなど世界規模でネットワークを拡大。プレイヤーとの二足の草鞋を履き続けたが、たび重なるヒザの手術をはじめ、自身の体と向き合う時が訪れる。現役としての最後の夢は、霊長類最強の男と言われるロシアのレスラー、アレキサンダー・カレリンと対戦することだった。
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