ニュース

《更新情報》~プロレスあの日あの時~ 1月4日

2021.01.04

日本プロレス殿堂会、皆様いつもありがとうございます!
 
鈴木健.txt氏によるプロレスあの日あの時
殿堂記念館|プロレスあの日あの時が更新されました。
 
~プロレスあの日あの時~1月4日
1992年~=新日本プロレス
プロレス初詣は“イッテンヨン”
29年間も続く新春・東京ドーム 

 
****一部記事抜粋
1989年4月24日に東京ドームへ初進出したあと、新日本プロレスは1990年2月10日、1991年3月21日と開催。4度目となる1992年の「超戦士IN闘強導夢」より1月4日に定着する。それから2021年までの29年間、一度も欠かすことなく“イッテンヨン”はおこなわれてきた。
 
毎年ファンは初詣感覚で東京ドームに足を運び、本格的なプロレス初めを迎える。それによる利益も大きく、三が日明けの1月4日がいかに“いい日取り”なのか坂口征二社長は気づいた。
 
第1回東京ドームの直後にアントニオ猪木が政界へ進出し、坂口が社長に就任。それから3年続けて大会を成功させたことにより東京ドーム側の信用も厚く翌年以後も1月4日を押さえられるようなった。
 
東京ドームを恒例化させると福岡ドームからも使用の打診があり、1993年から3年連続ゴールデンウイークに開催。大会名の「レスリングどんたく」は2000年代に会場が福岡国際センターに移っても継承された。
 
また東京、福岡に続き1997年には大阪ドームとナゴヤドームに、2001年には札幌ドームにも進出するなどプロレスというイベントの規模を格段に高めるほどの高度成長を遂げる。平成新日本史の象徴が、ドームプロレスと言えた。
 
同じく年に一度のビッグマッチとしてはWWEの「レッスルマニア」があげられるが、こちらは毎年日付も開催場所も違っており、そのいずれもが固定された形でのドームクラスのプロレス興行となると世界的にも例を見ない。2000年代初めのいわゆる暗黒期とされた時期も苦しいながらも中止にすることなく継続したのが、現在のイッテンヨンブランドにつながった。
 
第1回1・4では、センター花道が設置された。SWSが前年3・30東京ドームで本格導入したように、だだっ広い会場内ですべての視線が集中するシチュエーションを創りあげたのも大きかった。かつて、武藤敬司の入場シーンを見てあこがれた内藤哲也が、その後プロレスラーとなりセンター花道を歩くという夢をかなえた。長きに渡り続いているからこそ描ける導夢である。
 
その1992年の東京ドームは藤波辰爾と長州力によるIWGPヘビー級&グレーテスト18クラブ認定王座の2冠戦だったが、持っていったのはやはり猪木。巌流島でタイガー・ジェット・シンを退けて対戦する権利を勝ち獲った馳浩と最初で最後となる一騎打ちに臨み、卍固めでしとめたシーンが週刊プロレス増刊号の表紙となった。以後の歴史を列記する。
****
有料会員様、続きはこちらから⇒
https://nippon-puroresu-hof.com/dendokinenkan?no=Puvv3NFUccvfs7sHC2SpC
有料会員のみなさまがご覧いただけます。
 
※様々なコンテンツがサポーターご支援の特典としてご覧いただけます※
このサポートの数々がプロレスラーの支援に繋がります。
引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。
https://nippon-puroresu-hof.com/join