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《更新情報》~プロレスあの日あの時~ 7月27日

2021.07.27

日本プロレス殿堂会、皆様いつもありがとうございます!
 
鈴木健.txt氏によるプロレスあの日あの時
殿堂記念館|プロレスあの日あの時が更新されました。

プロレスあの日あの時
7月27日
 
1995年=みちのくプロレス
東北でマスクマンの祭典
ふく面ワールドリーグ戦
****一部記事抜粋
覆面は他のスポーツや競技にないプロレス独自の文化である。素顔を隠し、正体を明らかにしないことでミステリアス性を醸し出すだけでなく、そのデザインによってカッコよさやキャラクターを表現できる。野球や相撲でもマスクマンが出てきたらもっと見せ方に幅が広がるはずというのは、誰もが一度は考えることだろう。
 
そんな覆面レスラーの第1号はさかのぼること1865年…日本では慶応元年の江戸時代に、パリで誕生した。サーカス団に所属したセオボー・バウアーなる人物が「ザ・マスクド・レスラー」を名乗りデビュー、見世物としてのプロレスをフランス各地でおこなっていたというのが定説だ。
 
従来のプロレス興行とは違うサーカスからマスクマンが生まれたのもさもありなんといったところだが、厳密に“レスラー”としてマスクを被ったのは1915年12月、ニューヨークに登場したマスクト・マーベルが初とされている。マーベルは1904年のセントルイス五輪にレスリング・アメリカ代表となるほどの強豪で、アマチュアの選手がプロのショースポーツに出場することは御法度な時代だったため、必然的に素性を明かせなかった。
 
つまり、本当に素顔を画すべく生まれたのがマスクマンだったのだ。覆面が“ウリ”とされるまでには30年間の空白期間があり1945年12月、ワシントンにゼブラ・キッドがなる男が登場。4年間、活動し人気者となる。さらに1948年、サンディエゴにもゼブラ・キッドを名乗るマスクマンが出現する。
 
こちらはレスリングの実力者だったジョージ・ボラスで、肉体の肉割れがシマウマ柄を思わせたことからプロモーターが覆面やコスチュームを縦縞にすることを提案。これが爆発的な人気を博し、1961年には日本プロレスへ来日。11・7大阪府立体育会館で力道山のインターナショナル王座に挑戦している。その実績から、一般的にゼブラ・キッドといえばこちらの方を指す場合が多い。
 
こうしてアメリカを中心に覆面文化が定着する中、日本人初のマスクマンが誕生したのは1967年。のちにアントニオ猪木と“昭和の巌流島決戦”を闘ったストロング小林は国際プロレスに入団後「覆面太郎」のリングネームで7月27日、愛知・金山体育館で大磯武を相手にデビュー。1968年1月3日、TBSテレビのレギュラー放送が開始されるのを機に素顔となった。
 
ザ・デストロイヤーやミル・マスカラスなど、日本におけるマスクマンは外国人レスラーが人気を誇っていたが、その歴史を一変させたのが1981年4月23日にすい星のごとく現れた初代タイガーマスク。さらに、1990年に日本初のルチャリブレ団体として設立されたユニバーサルプロレスからザ・グレート・サスケ、スペル・デルフィンらが生み出されたあたりから日本人マスクマンは増えていった。
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