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スペシャル|特別記事更新 【7月の特集】橋本真也さん追悼-真夜中のファミレスで話した復帰戦 藤波辰爾 -

2020.07.29

いつも日本プロレス殿堂会への温かいご支援誠に有難う御座います!

7月のスペシャルコンテンツ・特集は橋本真也さん追悼です!
数々の名勝負を繰り広げ、闘魂三銃士としてだけではなく自らが立ち上げたZERO1、その人生模様を殿堂会賛同メンバーとの歴史に絡めて振り返ります!

最後を締めくくるの藤波辰爾と橋本真也。
是非ご覧ください!

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破壊王にとって、藤波辰爾は新日本プロレスという会社組織においては上司にあたる。えてして上司は煙たいもの。部下は不満を抱き、かみつきがちとなり、上司はそれを許し続ける器が必要となる。分かり合えない関係性は、それぞれが見ている景色が違うからだ。
 2005年7月11日に他界した橋本真也は、00年11月に新日本から解雇通告を受けた。当時の社長は藤波。2人の関係性はそこで途切れなかった。最期まで復帰を目指していた破壊王を、かつての上司は後押ししようとしていた。
 
新日本の1999年1月4日東京ドームで橋本は小川直也とシングルで対戦し、暴走ファイトの前にマッチでなす術なく敗れた。「1・4事変」として語り継がれる一戦は、敗れた破壊王にも強い衝撃を与えた。
00年4・7東京ドーム大会で5度目となった対決は「橋本真也34歳、小川直也に負けたら即引退!スペシャル」と銘打たれ、進退をかけて臨んだが、STO6連発を食らってKO負け。同年5月には橋本が辞表を提出した。
 
 藤波が振り返る。
「やっぱり、あの『橋本VS小川』で、本人もプロレスファンも想像していなかったことが起こった。彼が『プロレスのリングに上がりたくない』というところまで気持ちが落ち込んだ時期がありました。その当時、僕が社長だったから、もう1回リングに上げることが社長として最初の仕事でした。僕と彼の自宅のちょうど真ん中くらいにあるファミリーレストランに呼び出して、夜通し話をしましたね。『ファンの前に出られない、その勇気が出ない』という彼の気持ちを聞いて、延々夜明けまで『もう1回リングに上がれ』と口説いたこともありました。あの試合で選手として弱いところを見せたから、というのが彼の理由だったけれど、『いいんだ、リングに上がれ。俺が相手をするから』と。あの時、僕は社長になっていたからコンディションは良くない状況だったけれど、その中でも出来るだけのコンディションをつくろうと」
 00年10・10東京ドーム大会第1試合で橋本が185日ぶりのリングに上がった。藤波との壮絶な殴り合いを繰り広げ、最後はDDTからチキンウイング・アームロックで快勝。リング上から新日本離脱を宣し、新団体の「ZERO-ONE(現ZERO1)」を旗揚げした。11月には藤波が橋本に解雇を通告し、2人は違う道を歩み始めた。
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