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《更新情報》~プロレスあの日あの時~ 7月29日

2020.07.29

日本プロレス殿堂会、皆様いつもありがとうございます!
 
鈴木健.txt氏によるプロレスあの日あの時
殿堂記念館|プロレスあの日あの時が更新されました。


~プロレスあの日あの時~ 7月29日の今日は
新日本プロレス=1988年
ふてぶてしく、危なくドスが効いた闘魂三銃士の初結成

記事一部抜粋
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新日本プロレスにおいてアントニオ猪木、藤波辰爾&長州力から時代を受け継いだのは橋本真也&武藤敬司&蝶野正洋の闘魂三銃士だった。1984年入門の3人は、長州率いる維新軍勢が大量離脱し人員不足となった中で、早くから将来を嘱望されていた。翌年に若手の登竜門となるリーグ戦が9年ぶりに復活したのも、ヤングライオンと呼ばれる若手勢の成長を促すためのものだった。
 
優勝こそ先輩の小杉俊二に譲ったものの「ヤングライオン杯」を機に、3人はそれぞれの個性をアピール。中でもデビュー直後からムーンサルト・プレスを放ちスター性を発揮した武藤はエース候補生としてデビュー1年で海外修行へ出され、1996年10月に凱旋帰国すると主力の一角として定着。だが、そこから伸び悩み1988年1月より2度目の海外遠征へと出る。
 
その頃には蝶野が欧州(のちにアメリカへ転戦)、橋本はカナダに出ていたが猪木の命を受け1988年7月2日、武藤の遠征先であるプエルトリコへ集結。この日が闘魂三銃士の結成日とされている。
 
とはいえ、3人のうち誰も「闘魂三銃士」と発言はしておらず、7月29日の有明コロシアム大会にワンマッチ出場するべく一時帰国し会見に臨むと、パネルにデカデカと“闘魂三銃士”とあった。この年の5月より藤波が「いつまでも猪木さんの時代じゃない。僕に任せてください」と“飛龍革命”をスタートさせたものの、時を同じくして旗揚げされた新生UWFブームに押され新日本には閉塞状態が漂っていた。
 
そうした中で、、、
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