ニュース

《更新情報》~プロレスあの日あの時~ 12月22日

2020.12.22

日本プロレス殿堂会、皆様いつもありがとうございます!
 
鈴木健.txt氏によるプロレスあの日あの時
殿堂記念館|プロレスあの日あの時が更新されました。
 
~プロレスあの日あの時~ 12月22日の今日は
1954年=日本プロレス
日本の全国民が注目した巌流島の決闘
力道山、木村政彦を怒りのTKO

 
****一部記事抜粋
日本人のDNAとして、決戦の場といえば関ヶ原とともに巌流島がすり込まれている。
慶長17年(1612年)4月13日におこなわれたとされる(日時に関しては諸説あり)宮本武蔵と佐々木小次郎による決闘は、さまざまな文献によって物語として描き続けられてきた。
 
プロレス界では1974年3月19日に蔵前国技館で実現したアントニオ猪木と国際プロレスのエース・ストロング小林による日本人対決が「昭和の巌流島」と称された。その後、1987年10月4日にはじっさいに猪木とマサ斎藤が巌流島に乗り込み、武蔵と小次郎の戦いを再現。1991年12月18日には馳浩とタイガー・ジェット・シンもこの島で闘っている。
 
馳は外国人であるシンとの一戦だったが、やはり巌流島という言葉には日本人同士が雌雄を決する意味がこめられている。プロレス界において、最初にその三文字が銘打たれたのは1954年…今から66年も前の伝説、力道山と木村政彦による「昭和の巌流島の決闘」だ。
 
アメリカからプロレスという文化を“輸入”した力道山は、この年の2月19日に蔵前で国際試合を開催し、メイド・イン・ジャパンのプロレスをスタートさせる。戦後の敗戦ショックに打ちひしがれていた国民はまたたく間に飛びつき、国民的ヒーローの道をばく進。
 
その傍らに立っていたのが柔道からプロレスラーに転出した木村だった。「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」と崇められた15年間不敗の柔道家も、プロレスのリングでは本領を発揮できず、タッグマッチとなると負けを喫し力道山の引き立て役とされてしまう。
1954年10月、木村は故郷・熊本で国際プロレス団を設立し、11月3日より旗揚げシリーズをまわる。九州から関西地区までを巡業したが、名のある外国人選手を招へいする資金がなく一大ブームとなった力道山率いる日本プロレスと比べるとその差は火を見るよりも明らかだった。

****
有料会員様、続きはこちらから⇒
https://nippon-puroresu-hof.com/dendokinenkan?no=leFs3nVuccviCB3UcyC7C
有料会員のみなさまがご覧いただけます。
※様々なコンテンツがサポーターご支援の特典としてご覧いただけます※
このサポートの数々がプロレスラーの支援に繋がります。
引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。
https://nippon-puroresu-hof.com/join