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《更新情報》~プロレスあの日あの時~ 9月7日

2020.09.07

日本プロレス殿堂会、皆様いつもありがとうございます!
 
鈴木健.txt氏によるプロレスあの日あの時
殿堂記念館|プロレスあの日あの時が更新されました。
 
~プロレスあの日あの時~ 9月7日の今日は
パンクラス=1996年
心・技・体が揃うも壮絶TKO負け
船木が叫んだ「明日からまた生きるぞ!」

記事一部抜粋
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1993年9月21日に旗揚げし、全5試合の勝負タイムが13分5秒と従来のプロレス興行の概念を覆す“秒殺”が話題となったパンクラス。1年後に団体最高峰のタイトル、キング・オブ・パンクラスが設立され王座決定トーナメントを制したウェイン・シャムロックが初代王者に就いた(1994年12月17日、両国国技館)。
 
以後、鈴木みのる→バス・ルッテンと王座が移動。エースである船木誠勝はトーナメント準決勝でシャムロックに敗れた以後はタイトルマッチに絡まなかったが、1996年に入り王者・ルッテンに照準を絞り「心・技・体が揃ったところで獲りにいく。一発で獲れなければ二度とタイトルには挑戦しない」「俺が絶対、次はやります。これ言っちゃうとまた深言になっちゃうんですけど、進退懸けて挑戦します」との覚悟を口にした。
 
じっさいパンクラスにおける船木の歴史の中で、この1996年は最高潮のコンディションだったと言っていい。それまでシャムロックに2回、ジェイソン・デルーシア、山田学、フランク・シャムロックに1回黒星を喫していたが、この年に入ると柳澤龍志、稲垣克臣、オーガスト・スミスル、ヴァーノン“タイガー”ホワイト、伊藤崇文を撃破し無敗でルッテンに挑戦。
 
旗揚げ5戦目でルッテンと対戦した時はアンクルホールドでギブアップ勝ちを奪っており、王座奪取の機運はこれ以上なく高まっていた。新日本の頃は若手であり、UWF、藤原組はタイトルがなかったため船木のベルト姿は実現しておらず、旗揚げ戦の地である千葉・東京ベイNKホールは、それを期待する7250人(超満員札止め)の大観衆で膨れあがった。
 
ヨーロッパに遠征から1989年春に帰国し、第2次UWFへ移籍した以後の船木はカッコよさの象徴だった。日の丸が入ったグリーンのショートタイツとレガース姿は“青春ヘラクレス”と表現され、パンクラスではハイブリッドボディーと呼ばれる美しい肉体をまとった。
 
そんな船木は勝っても負けても洗練さを漂わせていた。だがこの試合、ルッテンの掌底を中心とする打撃に押され、みるみるうちに顔面が腫れあがり鼻と口が鮮血で染まっていった。絶対に勝つと思われていた船木が、どんどん動けなくなっていく。
 
「通常のプロレスではファンが求めることが形になり、それによってハッピーが味わえる。だがパンクラスでは必ずしもそうはならない。それがパンクラス」と当時よく言われた。前衛的に強さを追求し続けた結果、非情なまでの現実が夢を打ち砕くリングとなっていた。
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