ニュース

《更新情報》~プロレスあの日あの時~ 11月22日

2020.11.22

日本プロレス殿堂会、皆様いつもありがとうございます!
 
鈴木健.txt氏によるプロレスあの日あの時
殿堂記念館|プロレスあの日あの時が更新されました。

~プロレスあの日あの時~11月22日の今日は
1987年=全日本プロレス
空前絶後のミラクルパワーコンビと
不沈艦と超獣の日本初対戦


****一部記事抜粋
80年代の最強外国人タッグは?と聞かれたら、半数以上がスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディをあげるだろう。「ミラクルコンビ」や「超獣コンビ」とも呼ばれたが、正式なチーム名ではなく、通称として定着。本人たちから固定の名前が出なかったのは、いずれもシングルプレイヤーとしての意識が高く“ハンセンとブロディ”以外の何物でもなかったのだと思われる。
 
2人が他のタッグチームと違っていたのは、プロ入りする前からの物語があったことだ。ウエスト大学州立大学時代、年齢はブロディの方が3歳年上でフットボール部のチームメイトとして出逢った。ただ、一緒にプレーをしたのは半年ほどで、ハンセンいわく「フランク(グディッシュ=ブロディの本名)はコーチと喧嘩してチームを追い出された」。
 
ある日、クラブからいなくなったブロディと再会したのはハンセンがプロレスラーになって1年ほどが経った頃。ちょうどブロディもデビューする前後で、同じ道を歩み出した旧友との再会をお互いが喜んだ。
 
その後、ブロディが活動していたルイジアナ地区で再び合流。ここで若き日の2人はタッグを組んで1年ほど暴れ回ったあと、ハンセンがWWWF(現WWE)に移るとブロディもあとからニューヨークへ流れてきた。
 
申し合わせたわけではなかったのに、同じルートを歩んだ2人は5ヵ月ほどともにサーキットする。そこからハンセンは新日本プロレス、ブロディは全日本プロレスを主戦場とするようになり、いずれもシングルプレイヤーとして外国人レスラーのトップの座を勝ち獲った。
 
だが、やはり2人はお互いが引き寄せられる運命にあった。1981年12月13日、世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦の蔵前国技館大会で、ブロディ&ジミー・スヌーカとともにテンガロンハットを被ったハンセンが登場。5日前まで新日本に上がっていた外国人エースが、全日本にやって来たとあり場内は騒然となった。
 
試合中盤、場外戦でブロディがテリー・ファンクをハンマースローするとハンセンのウェスタン・ラリアットがサク裂。この一発でテリーは完全KOされ、繭に包まれた蚕のように紙テープの山へと沈んだ。孤立したドリー・ファンクJrを仕とめ、ブロディ&スヌーカがタッグリーグ優勝を飾る。
 
なおもファンクスをいたぶる3人にジャイアント馬場&ジャンボ鶴田が襲いかかり、ハンセンの全日本参戦が決定的となった。同じリングに上がるとなれば当然ファンも2人のタッグ結成を望む。翌年2月20日(現地時間)、まずフロリダで合体し日本から遠征してきたジャンボ鶴田&天龍源一郎を一蹴。4月22日の東京体育館ではブロディとスヌーカが仲間割れ。ブロディは正パートナーとしてハンセンを選択する。
 
ただ、いずれも目玉外国人だったことから両者は交互にシリーズ参戦する形が続く(ブロディ不在の場合、ハンセンはロン・バスと組みインターナショナルタッグ王座も奪取している)。十分の“溜め”を経て11月26日開幕の世界最強タッグ決定リーグ戦にて揃い踏みとなった。

****
有料会員様、続きはこちらから⇒
https://nippon-puroresu-hof.com/dendokinenkan?no=JEFHCNfTccFp3V36c538S
有料会員のみなさまがご覧いただけます。

※様々なコンテンツがサポーターご支援の特典としてご覧いただけます※
このサポートの数々がプロレスラーの支援に繋がります。
引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。
https://nippon-puroresu-hof.com/join