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《更新情報》~プロレスあの日あの時~ 4月4日

2021.04.04

日本プロレス殿堂会、皆様いつもありがとうございます!
 
鈴木健.txt氏によるプロレスあの日あの時
殿堂記念館|プロレスあの日あの時が更新されました。

プロレスあの日あの時 4月4日
 
1998年=新日本プロレス
「迷わずいけよ。いけばわかるさ!」
7万人が見届けたアントニオ猪木引退

****一部記事抜粋
アントニオ猪木の引退は、日本の国民が初めて経験するジャンルを超越した歴史的なプロレスに関するトピックと言えた。日本のプロレスの父・力道山は39歳で不慮の死を遂げ、現役生活を全うできぬままに終わっている。もしもあのまま健在だったら、どれぐらいまでプロレスラーを続け、そして誰とラストマッチを闘っていたか。
 
1988年8・8横浜文化体育館で「負けたら引退」と公言し、藤波辰巳と60分フルタイム戦を残した猪木はリングから一歩引き、翌年の参院選で当選、初の議員レスラーとなった。政治家を志したのは、力道山が引退したら参院選に出馬することを知っていたからだという。

猪木の引退発表から19日後、ジャイアント馬場は後楽園ホールで還暦記念試合をおこなったあと「生涯現役」を宣言。それが意図したものかどうか定かではないが、ここでも二人はお互いに違った形を選択する。
 
猪木は引退試合、馬場は60歳を迎えてもプロレスラーとしてあり続けるという力道山が経験しないままに終わった2つの区切りに到達したのが、この1998年という年だった。アントニオ猪木プロデュースによる、最後の猪木のプロレスを見届けるべく東京ドームは7万人の大観衆で埋め尽くされた。
 
これは国内のプロレス興行最多動員記録として今現在も破られていない。それほどの“大ごと”であり、ジャンルを超えた猪木のスケール感が現出した形だった。
 
最後の相手は当日まで決めず「THE FINAL INOKI TOURNAMENT」として小川直也、ドン・フライ、ブライアン・ジョンストン、イゴール・メインダートの4人でワンデートーナメントをおこない、優勝者が猪木と対戦するというもの。相手が誰であっても7万人集めてしまうのも、アントニオ猪木の突出したバリューの証明だった。
 
そうした中でファンが望んだのはやはり小川との師弟対決…
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