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《更新情報》~プロレスあの日あの時~ 12月11日

2020.12.11

日本プロレス殿堂会、皆様いつもありがとうございます!
 
鈴木健.txt氏によるプロレスあの日あの時
殿堂記念館|プロレスあの日あの時が更新されました。
 
~プロレスあの日あの時~ 12月11日の今日は
 1975年=新日本プロレス
猪木史上至高のベストバウト
力道山追善興行とロビンソン戦

 
****一部記事抜粋
1953年に力道山が設立して以来、栄華を誇った日本プロレスがアントニオ猪木、ジャイアント馬場の二大エースの退団が響き活動停止したのは1973年4月。以後は新日本プロレス、全日本プロレスと先行の国際プロレスを含む3団体時代が1981年まで8年間続く。その中で年を追うごとに熾烈を極めたのが、新日本と全日本による企業戦争だった。
 
1974年の猪木は3月にストロング小林、10月に大木金太郎と名勝負を繰り広げ事あるごとに「実力日本一はどちらか、直接闘って勝負をつけよう」と馬場に対戦要求。これに対「クリアすべきものがある」「テレビ局同士の話し合いが先」といった理由をあげて受け流し続けた馬場だったが、ファンの間では「猪木との対戦を避けている」というイメージで見られるようになる。
 
同年12月にジャック・ブリスコを破り日本人初のNWA世界ヘビー級王者となったのも、根底には猪木ができないやり方で強さをアピールするという意図があったと思われる。2団体のレスリングウォーはすなわち、馬場と猪木のライバル闘争が団体同士のせめぎ合いとして拡大したものだった(もっとも馬場は、後輩の猪木とライバル扱いされるのは本意でなかった)。
 
こうした舌戦や外国人を含む選手の獲得、対戦カードの話題性といった形で闘いが繰り広げられる中、同日開催の興行戦争として真っ向から激突したのは1975年12月11日。10月29日に全日本は国際の吉原功社長同席のもと「力道山13回忌追善興行」日本武道館大会の開催を発表した。
 
主催は力道山家とされたものの、日本テレビで中継される事実をとっても全日本主導であるのは明らかであり、ニュートラルな立場の国際も全面協力。ポスターに力道山の姿はもちろん「直弟子、孫弟子、勢揃い」のキャッチが躍った。
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