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《更新情報》~プロレスあの日あの時~ 5月11日

2021.05.11

日本プロレス殿堂会、皆様いつもありがとうございます!
 
鈴木健.txt氏によるプロレスあの日あの時
殿堂記念館|プロレスあの日あの時が更新されました。

プロレスあの日あの時
5月11日
 
2013年=FINAL BURNING
思い出が詰まった武道館
鉄人・小橋建太が引退
****一部記事抜粋
“オレンジクラッシュ”“青春の握りコブシ”“絶対王者”“ミスタープロレス”…小橋建太、25年の現役生活はいくつものフレーズによって称された。時代ごとの立ち位置がそこに表れているわけだが、リングを降りて8年が経とうという現在も異名としてもっとも定着しているのは“鉄人”だろう。
 
かつて、その二文字は「20世紀最大のプロレスラー」とされるルー・テーズの代名詞だった。1963年1月、46歳で6度目のNWA世界ヘビー級王座に返り咲き、49歳まで防衛を続けたことからそのように称されたわけだが、小橋の場合は何度となくケガ、病気との闘いを克服し、不死鳥のごとく蘇り続けいつしか誰もが畏敬の念をこめて呼ぶようになった。
 
若手の頃から得意技としてムーンサルト・プレスを使い、着地のさい両ヒザをキャンバスへ強打することで負荷がかかり、2000年8月のプロレスリング・ノア旗揚げを控え入院し治療。翌年1月に手術を受け、リハビリのためリングを離れる。2002年2・17日本武道館で395日ぶりに復帰したものの試合で左ヒザ前十字ジン帯不完全断裂を負い、再び欠場となった。
 
4ヵ月後に復帰を果たすと2003年3・1日本武道館で三沢光晴を破りGHCヘビー級王者へ。ここから“絶対王者”時代を築き、2年間もチャンピオンとして君臨、13度の防衛はその後、杉浦貴がV14を達成するまでの最多防衛回数だった。
 
だが、2006年6月29日に腎臓がんであることを公表。右腎臓摘手術を受けたあともカムバックを目指し、その間に両ヒザの手術も受けている。そして2007年12月2日、日本武道館で546日ぶりにタッグマッチで復帰。三沢のエメラルドフロウジョンに3カウントを喫した直後、日本テレビ・矢島学アナウンサーは「小橋が勝ちました! 腎臓がんに勝ちました!!」と実況した。
 
腎臓をひとつ失いながら、がんも乗り越えた鉄人。しかし、その後もケガとの闘いは続いた。剛腕ラリアットとチョップを振るい続けてきたヒジの神経麻痺、関節遊離体に苦しみ何度となく欠場。2012年2・19ALL TOGETHER仙台サンプラザで左脛骨骨折、右ヒザ内側側副ジン帯損傷、右脛骨挫傷を発症し、またしても長期欠場を余儀なくされた。仙台大会の夜にバスで自宅へ戻り、翌日病院で診断を受けると、医師が早急に首を手術する必要があると宣告。
 
手術を受けると復帰に時間がかかるため、小橋は投薬治療を選ぶ。ところがトレーニングも再開し、復帰できるかMRIを撮ったところすぐに手術を受けるか引退かの二択を突きつけられる。三沢の首も診ていたその先生から「三沢さんの状態よりも悪い」と言われ手術に踏みきったが、首に骨を移植した骨盤が退院して間もなく真っ二つに割れ、歩けなくなった。長きに渡り悲鳴をあげ続けてきた自身の体の言うことを、小橋が聞かなければならない時がついに訪れたのだ。
 
 
「小橋建太のプロレスができなくなった」が、引退を決意した理由だった。
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