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《更新情報》~プロレスあの日あの時~7月31日

2021.07.31

日本プロレス殿堂会、皆様いつもありがとうございます!
 
鈴木健.txt氏によるプロレスあの日あの時
殿堂記念館|プロレスあの日あの時が更新されました。

プロレスあの日あの時
7月31日
  
1984年=全日本プロレス
馬場が魅せた小さくて大きな技
ハンセンに初勝利でPWF奪回!
****一部記事抜粋
数々の好敵手と激闘を繰り広げてきたジャイアント馬場にとって、最後のライバルと呼べる男がスタン・ハンセン。それまで、新日本プロレスでアントニオ猪木と闘いを繰り広げてきた不沈艦が全日本プロレスに電撃移籍を果たしたのは1981年12月13日、蔵前国技館における世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦だった。
 
試合中、テリー・ファンクへウェスタン・ラリアットを見舞いブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカの優勝に加担。「土足で足を踏み入れた」ハンセンに対し馬場がジャンボ鶴田とともに襲いかかり、翌年からの参戦が決定的となる。1982年の新春シリーズに参加したハンセンと馬場の初シングルマッチは、シリーズ最終戦の2・4東京体育館で組まれ、両者反則に終わったものの引退説も囁かれていた馬場が全盛期を思わせるファイトを見せ、その年のプロレス大賞年間ベストバウトに選ばれた。
 
世代的にハンセンは鶴田、天龍源一郎と同じだったが、猪木を相手に新日本の外国人エースとなったように、馬場とPWFヘビー級王座を争うことでナンバーワン外国人のイスへ座る。再戦は4・22東京体育館で組まれるも両者リングアウトに。6・1札幌中島体育センターでハンセンがノンタイトル戦ながらリングアウト勝ちを収め、初めて勝敗がつく。
 
9・14刈谷市体育館では3度目のPWF戦で、馬場が反則勝ちで防衛。翌年4・11広島県立体育館のノンタイトル戦は再び馬場の反則勝ちに。そして迎えた1983年9・8千葉公園体育館で、ハンセンは十六文キックをかわした直後に左腕を振るい、初のピンフォール決着で馬場のベルトを奪うことに成功した。
 
これでハンセンは猪木からNWFヘビー級、馬場からPWFヘビー級王座を奪った史上初の男となる。ここからは馬場の方が追う立場となり、10・31会津体育館で挑戦するも無効試合に。12・7地元・新潟市体育館では特別試合で対戦し両者リングアウト、そして1984年3・24蔵前ではなんと馬場が暴走しレフェリーに手を出したため反則負けとなった。
 
2度挑戦し(ノンタイトルも含めると3試合)ベルト奪還ならなかった馬場は背水の陣を敷いて7・31蔵前で3度目のチャレンジ。この大会は全日本にとって最後の蔵前国技館興行であり、当日は特別番組枠で生中継された。
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